藤岡弘、のプロフィール
名前:藤岡 弘、(ふじおか ひろし、)
生年月日:1946年2月19日
出身地:愛媛県
身長:180cm
所属:SANKIワールドワイド
嗜好品:自然薯、コーヒー
藤岡弘、の経歴
病弱だった幼少期
藤岡弘さんの父親は、警察官でした。
同時に、家伝の流派の古武道である「藤岡流」を継承する武道家でもありました。
母親は、茶道や華道、琴の師範です。
藤岡さんは、生まれたばかりの頃はとても身体が病弱で、肺炎を患った時には生死の境をさまよい、“遺影の写真”が撮影されたほどだったそうです。
その後は一命を取り留めますが、息子を心配した父が、藤岡さんが6歳から古武道の修行を受けさせて、肉体・精神ともに鍛錬で鍛えあげ、病弱を克服したそうです。
藤岡さんは、少年時代から滝行も経験しています。
家の掃除も言いつけられ、手抜きをすると父親に見抜かれ、「掃除というのは己の心を掃除することだ!」とよく怒鳴られたそうです。
家伝の古武道について「人に見せるな、教えるな、商いにするな」と、特に厳しく言われていたようです。
父親が突然の失踪
藤岡さんが6年生の時に、父親が突然失踪してしまいます。
その日から藤岡家は貧困に陥り、ご飯もまともに食べられず、学校の給食費も払えなくなりました。
藤岡さんは、アルバイトをして必死に家計を支えましたが、惨めな生活を誰にも相談できず、長年父親を許すことができなかったと語っています。
父親の死後、立ち会うこともなかったそうです。
父親が亡くなる前に、突然その父親から大人になった藤岡さんに電話があったそうです。
そして、電話でこんな風に語りかけました。
おまえには財産も何も残してやれなかったが、地位や名誉という財産は他人に奪われることはあっても、生き方という財産は決して奪われない。
だから、おまえも誇りをもって生きなさい。
父親の死後に、藤岡さんは、父親の友人たちから失踪の真相を聞かされます。
真相は、はっきりと分かっていませんが、一説によると藤岡さんの父親は、秘密警察(スパイ)に転身し、国の戸籍からも抹消されたとも言われています。
何だか、映画の世界の話のようですね!
父親から、母と藤岡さんへの謝罪の手紙も出てきたことから、藤岡さんは、最終的に父親を許すことができたそうです。
複数人の不良を撃退
藤岡さんが高校生になると、柔道部に在籍し主将を務めます。
180cmという長身と容姿が一際目立っていた藤岡さんは、よく不良にからまれたそうです。
ある時、複数の不良にからまれてしまいます。
小学生の頃、いじめられていた藤岡さんは、ある日我慢できなくなり相手に反撃し、重傷を負わせてしまい母親にこっぴどく怒られた経験から、相手に反撃することを我慢していました。
不良にからまれた時、初めは相手の攻撃を全て見切った上で、かわしたり間合いを外したりしていましが、あまりにしつこく、とうとう堪忍袋の緒が切れて、集団に1人で反撃し全員撃退してしまいます。
体の弱かった少年が、武道を通じてここまで強くなれるんですね!
もちろん、藤岡さんの頑張りが一番ですが!
俳優・藤岡弘、の軌跡と苦悩
初代仮面ライダーとして人気俳優へ
藤岡さんが洗車のバイトをしていた時に、当時、松竹の大スター女優であった「桑野みゆき」さんの父親にスカウトされ「劇団NLT俳優教室」に入所します。
その後、松竹映画『アンコ椿は恋の花』で俳優デビューし、同年『若いしぶき』で初主演を果たします。
1971年、藤岡さんが25歳の時、特撮テレビドラマ「仮面ライダー」に、主人公・本郷猛 / 仮面ライダー1号役で出演しました。
最高視聴率30%の大ヒットで、一躍人気スター俳優となりました。
当時は、“五社協定”というものがあったそうで、松竹と専属契約を結んでいた藤岡さんが出演していた「仮面ライダー」は、東映のテレビ部とMBSの共同制作だったため、松竹と東映との問題に発展したようです。
東映の重役が松竹まで話し合いに行き、藤岡さんは、仮面ライダーに出られるようになったようですが、”五社協定”は、事実上の崩壊となり、仮面ライダーへの出演決定を機に、松竹との専属契約を正式に打ち切りました。
五社協定・・・日本の大手映画会社5社(松竹、東宝、大映、新東宝、東映)が1953年9月10日に調印した専属監督・俳優らに関する協定。
- 各社専属の監督、俳優の引き抜きを禁止する。
- 監督、俳優の貸し出しの特例も、この際廃止する。
1971年に、五社協定は自然消滅。
一時失踪し、仮面ライダーの制作に影響を及ぼす
1972年に藤岡さんは、NHKドラマ「赤ひげ」のオーディションを受けて合格しましたが、「仮面ライダー」の制作元である東映・毎日放送には無断で受けていたため、トラブルが発生してしまいます。
結果「赤ひげ」への出演は見送られることになり、藤岡さんは一時失踪してしまいます。
「仮面ライダー」の主演俳優の不在という事態に、テレビ本編の制作現場が大混乱となりました。
「仮面ライダー」の第66~68話と、劇場版「仮面ライダー対じごく大使」の制作に影響を及ぼします。
第68話「死神博士 恐怖の正体!」の撮影時に、藤岡さんは復帰しました。
後に藤岡さんはインタビューで、「この件については嫌な思い出であったため、記憶から消していた」と語っています。
ハリウッドスターまで登りつめる
その後の俳優人生は右肩上がりで、主演した映画「日本沈没」が大ヒットしたり、NHK大河ドラマにも複数出演します。
出演した刑事ドラマも、人気長寿番組となりました。
1984年、藤岡さんが38歳の時に、ハリウッド映画「SFソードキル」の主演を務め、国際俳優となります。
藤岡さんは、日本人として初めて”全米映画俳優組合”へ加入しました。
藤岡弘、の結婚歴
藤岡弘、は、過去に結婚していた【バツイチ】
藤岡さんは、1987年に『白い牙』で共演した女優・鳥居恵子さんと結婚します。
しかし、3年3ヵ月後に離婚してしまいます。
二人の間に、子どもはいなかったようです。
藤岡さんが、鳥居恵子さんと離婚した理由や原因ですが、詳しい離婚理由については分かっていません。
藤岡さんはこの頃「最も信頼していた者達の裏切り」に遭い、多額の負債を抱えてしまいます。
そして、体調を崩してしまったことからしばらく芸能活動を休止してしまいます。
裏切りに関しても、詳細は分かっていません。
「離婚」と「最も信頼していた者達の裏切り」が関係しているかも分かりませんが、同時期に起こっているため関係していると見て良さそうですね。
再婚し、4人の子どもに恵まれる
2001年、藤岡さんが55歳の時に、24歳年下の一般女性と再婚しました。
同年、長女が誕生しています。
その後、長男・次女・三女と4人の子どもに恵まれます。
55歳で長女が誕生しているので、藤岡さんの生命力はすごいですね!(笑)
2020年には、長男・藤岡真威人さんが俳優デビューを果たしています。
美男美女な家族ですね!!
【 藤岡 弘、】芸名に「、」を付けた理由
藤岡さんの芸名は、「藤岡 弘、」です。
なぜ芸名の最後に読点である「、」をつけたのでしょうか?
その理由は2つあるそうです。
- 「昔の武将は一度”、”を打って決意した。周囲に流されることなく立ち止まり自分を見つめる」という覚悟
- 「『我未だ完成せず』との意味を込めて」
そして、「、」には「てんでダメな男」というシャレもかけられているということです。
藤岡弘、がすごい理由
藤岡さんが所持している資格は、
- 調理師免許
- 普通自動車免許
- 小型船舶操縦士
- 大型特殊自動車免許
- 大型自動二輪免許
- 自家用操縦士免許
- スキューバダイビング
- 無線従事者免許(アマチュア)
- 鉄砲
- パワーボート免許
- 抜刀道四段
- 柔道三段
- 空手初段
- 小刀護身道四段
- 居合道初段
などです。
武道やアウトドアに精通している藤岡さんですが、趣味の範囲ではなく、もはやプロの領域ですよね。
大型自動二輪免許は、仮面ライダーでも生かされていますね!
トランポリンを使用したアクションやオートバイで階段を登るバイクアクションなども自らこなしています。
仮面ライダーの撮影では、バイクで転倒し、全治3か月~6か月の重傷を負ったこともあります。
その怪我で入院中、周囲が寝静まった時間帯にトレーニングをしていた藤岡さんですが、かなりの過酷さで床には汗だまりができ、時には発熱したため、日中になると疲れきって寝込むという「戦い」の日々を数か月送っていたそうです。
日本男児の魂を感じますね!!
まとめ
藤岡弘さんは、幼いころは病弱で死にかけたこともあるのですが、代々武道を継ぐ家に生まれたために、体力・精神ともに鍛え上げられ、不良数人に囲まれても全員倒してしまうほど強く成長しました。
武道や武士道がなぜ大事なのか、藤岡さんが生き様で教えてくれている気がしますね!!
現代社会では失われつつあるものを、思い起こさせてくれます。
これからも信念を貫いて、若い世代に背中で教えていって欲しいものです!!