噂・真相

不倫 孫のZeebraなど小物。文春記者が一番の悪と名を挙げる祖父・横井英樹の悪行とは

にゃん吉
にゃん吉
悪そうな奴は大体友達、悪そうな奴と大体同じでお馴染みZeebraさん。そんな彼すら祖父に比べれば遥かに小物。ヤバ過ぎるZeebraの祖父「横井英樹」に迫る。

ZeebraさんはDragon Ashと「Grateful Days」で『俺はストリート育ち、悪そうな奴は大体友達』とか、「結婚の理想と現実」という自身の曲にて『ガキの頃の俺ん家は母子家庭』とか歌っており、何か一般庶民・アングラ不良・そんなに裕福ではないといったイメージを勝手に持ってたんですが、、

・義父:建築家の板倉竹之助(代表作:東京ミッドタウン)
・義祖父:建築家の板倉準三
・曾祖父:文化学院創立者の西村伊作
・母方の祖父:実業家の横井英樹

実は相当かなり裕福な家庭、家系。小学校は慶応。お坊ちゃまじゃん。

昭和の超有名実業家・横井英樹

Zeebraさん母方の祖父が、横井英樹です。

貧しい生まれから一代で成り上がり財を成すも、その性格は異常な拝金主義。人を信じず、ひたすらに金に執着した男。

アメリカのエンパイア・ステートビルを日本人が買収。所有したという話を聞いた事がある人も多いと思いますが、それこそが横井英樹です。

また昭和という時代さして珍しい事でも叩かれる事でもなく、横井は複数の愛人をかかえていました。

多くの希望入札価格が2500-3000万ドル台のところ、唯一4000万ドル台の価格提示をしたのが「中原キイ子」と名乗る日本人女性、つまり横井の愛妾(内縁の妻)の子で横井の代理人だった。

こうして1991年8月23日、正式の調印式をもって横井英樹がこの摩天楼のオーナーになった。その後横井とキイ子が所有権を巡り血みどろの法廷闘争を引き起こし、その後漁夫の利を狙うニューヨークの不動産王ドナルド・トランプ(後の第45代アメリカ合衆国大統領)が所有権をめぐって彼らと関わることになる

※この中原キイ子と名乗る女性が、Zeebraの母とする情報もあれば、別の愛人女性とする情報もあり、この辺は真偽不明です。

横井の最大の悪行!ホテル ニュージャパン火災

悪名高き横井英樹の名を決定づけた大事件。

ホテルニュージャパン。

千代田区永田町に1960年開業した同ホテルは、都市型多機能ホテルの先駆けとなる豪華ホテルでしたが、経営は赤字続き。

1979年に横井英樹が同ホテルを買収。オーナーとなり再建に乗り出す。
横井の経営は、徹底した人員削減・経費削減といった合理化策だった。

横井は完全なるワンマン社長で、少ない従業員を散々にこき使い、横井への進言・提案などはことごとく破棄され、従業員の士気は著しく低かったという証言がある。

また安全対策費も極端にカットされた為、防災訓練・災害が発生した場合の対応訓練・教育なども行われておらず、災害の際の対応を把握している従業員もほとんどいなかった。

安全対策費の設備はあり得ないくらいカットされたくせに、表面上は豪華ホテルを演出する為に高価な装飾・古家具が置かれた。

1982年2月8日深夜3時すぎ、宿泊客の外国人の寝タバコが原因で起こった火事は、23区全域の消防車、600人以上の消防士が集結する程の大火災となり、鎮火したのは約9時間後。

死者33人、負傷者34人という歴史に残る大惨事となった。

きっかけは宿泊客の寝タバコによる不始末。しかしこれは明らかに「横井による人災」

当時から消防署から、安全対策設備がデタラメだと指摘されていたものの横井は、「金も時間もないわ。見せかけでいいんだよ」と嘘の報告をあげさせ、実際には何も改善していなかった。

設備費・電気代など削減として・・・

スプリンクラーに配管を通していない。(水が出ないまま放置)

故障している火災報知器・煙感知器・館内放送設備なども修理せずにそのまま放置。(というか、そもそも電源を切っていた)

内装も耐火素材にしていないどころか、客室を仕切る板・壁がペラペラの安物。(あっという間に燃え移ります)

客室を含む館内の湿度を調整する設備を稼働させていない。(乾燥した空気はより一層炎を強くします)

防火扉の下に荷物を置いており、防火扉は降りなかった。(火の延焼を食い止めれず、ひたすら燃え広がります)

ホテルニュージャパンは、複雑で非常に迷いやすい構造になっていた。(宿泊客・消防員が迷い逃げ遅れる。)

火災発見時、従業員が消火器で対応するも失敗。(消火器も4本以上置いて然るべきところ、1本しか置いていなかった)

この時、消防署に通報していればこれ程の大火災にならなかったという。

従業員は防災装置、挙句に館内放送の扱い方を知る者がいなかった。

従業員は何事にも「社長(横井)に確認をとってから」「余計な事をして、また社長に怒鳴られるのが怖くて動けなかった」

従業員が消防に通報したのは火災発生から20分以上たってからだが、これほど遅れた理由は「横井に確認をとってから・・・」という理由の為。
(結果最初に通報したのは、従業員ではなく火事を外から目撃した通行人だった)

宿泊客の非難誘導もされなかった。(横井の指示がなかった為)

消防隊が到着し、従業員に質問しても横井を異常に恐れ、いちいち横井に確認しなくては動こうとしなかった。(消防隊は、鎮火・非難協力よりこういった事を優先する状況は初めてだと明かしている)

そして、その横井の指示は客の安否や非難指示などではなく、

「高級家具を持ち出せ」であった。

火災は約9時間も燃え続け、
結果死者33人(内、熱や煙に耐えられず飛び降りた死者13名)、負傷者34人。

これほどの被害が出ておきながら横井は「悪いのは火元となった宿泊客だ」「9階10階のみで火災を止められたのは不幸中の幸い」と発言し世間から大バッシングを受ける。

ホテルは営業停止処分により廃業。

横井はこうした数々の違法運営により1987年、東京地裁で業務上過失致死傷罪で禁錮3年の実刑判決を受ける。

横井英樹 襲撃事件!拳銃で撃たれる

ホテルニュージャパン買収前、1952年。横井は白木屋乗っ取りの資金として旧侯爵の蜂須賀正氏に3000万円を借りる。

しかし横井は返済期日になっても元本はおろか利息すら払おうとせず、その後1000万円返したところで、蜂須賀正氏が急死。

蜂須賀の妻・智恵子は訴訟を起こし、最高裁は横井に2000万円の支払いを命じるが、横井は返そうとはしなかった。新車のキャデラックを乗り回し、箱根の強羅や那須に別荘を持ち、戦後の引揚船を観光遊覧船に改装した「興安丸」を所有しているなど、横井の財産価値は数十億円に上るものだったが、名義は実弟など他人のものにされており、実際に裁判所が差し押さえたのは郵便貯金の3万9000円のみだった。

困り果てた智恵子は、三栄物産代表取締役の元山富雄に相談をし、元山は1958年6月、安藤組の安藤昇組長に取り立てをしてもらえないかと頼んだ。

※引用:wiki

安藤昇が交渉にあたるも横井は、
「日本の法律ってやつは借りた方に便利にできてるんだ。なんなら君たちにも金を借りて返さない方法を教えてやろうか」

と発言し安藤昇を激怒させ、安藤組組員により銃撃される。

一命は取り留めたが、銃弾は体から摘出できず。

横井はその後、ホテルニュージャパンの社長に就任した際「俺は身体にピストルの弾が入っているんだ。お前らはタマはあそこの2つだけだろう!だが俺はお前らとちがって1つ多いんだ!俺にはタマが3つあるんだ!!」と、この事件をネタにホテルの従業員一同に豪語しており、実際に1999年に横井が逝去し、荼毘に付された横井の遺骨から、前述にあった「身体に食い込んで摘出できなかった銃弾」が見つかっている。

また、安藤は横井の死後、タマが3つあると豪語した生前の横井を振り返って「アイツは金が好きだったからな」と皮肉を述べている。


余談だが、安藤組には伝説の喧嘩師として有名な安藤組大幹部「花形 敬」もいた。格闘漫画グラップラー刃牙の花山薫のモデルとなった人物としても有名。

横井襲撃がきっかけで安藤組は解散となる。

安藤昇は懲役8年、花形敬は懲役1年6ヵ月。他安藤組幹部も軒並み懲役行き。

安藤が服役中、花形敬が刺殺され安藤組の勢力が衰える。
出所後も配下の西原健吾が対立組織に殺された事をきっかけに、安藤組の解散を決意。

12月9日に千駄ヶ谷区民講堂で「安藤組解散式」を行う。これは暴力団の自主解散第一号である。

豪華絢爛な横井英樹の墓

1998年。虚血性心疾患で死去。85歳であった。

多磨霊園の大きな敷地に横井家墓所がある。
納骨堂の扉は投石の後が残り、へこみがある。

正面の納骨堂からラセン階段で下に降りることができ、墓所敷地面積と同じ広さの納骨堂がある。 中はシャンデリアもあり豪華な作り。

横井には納税するべき行方不明の大金があり、これは横井の愛人に渡されたとされています。
そしてその愛人こそ、あの謎のセレブ姉妹だ。という話もありますが、これは真偽不明。そうかもしれませんが、まぁ都市伝説レベルですね。

最後までド派手なスキャンダルな話題に事欠かない男でした。

建築当初、豪華な横井墓
2010年。リニューアル後の横井墓