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【追悼】志村けんさんのエピソードまとめ

にゃん吉
にゃん吉
2020年3月29日午後11時10分、新型コロナウイルスによる肺炎のため亡くなった志村けんさん(享年:70歳)。そのニュースが出た時、世間に衝撃が走りました。それは、昭和~令和まで幅広い世代に愛されていたからです。数々のキャラクターを生み出し、お茶の間を笑わせてくれた志村けんさん。本当にありがとうございました。

志村けんのプロフィール

名前:志村 けん(しむら けん)
本名:志村 康徳(しむら やすのり)
生年月日:1950年2月20日
出身地:東京都
身長:167 cm

志村けんの経歴

幼少期~高校生時代

志村さんは、男三人兄弟の末っ子として生まれました。
両親が小学校の先生、兄二人は公務員。
志村さんは家族の中で異色の「お笑い芸人」の道へ歩むことになります。

そのきっかけは、父親は厳格な人物で、家庭はいつも重苦しい雰囲気に包まれていたためで、当時はまだ珍しかったテレビの”お笑い番組”で”漫才”や”落語”を観ていた時だけは、嫌な日常を忘れることが出来たことにあります。

この幼少期の体験から、志村さんは「お笑い芸人」への憧れを抱き始めます。
中学生になると、本格的にお笑いを仕事とすることを決心
中学時代の文化祭で、よくコントを披露していたそうです。

高校は、両親の方針で、当時新設された「東京都立久留米高等学校」に進学しました。
サッカー部に所属し、GKとして活躍していたそうです。

【1968年】高校卒業後~付き人時代

高校卒業間際に「いかりや長介」さんの家へ直接押しかけ、弟子入りを志願します。

雪の降る中、いかりや長介さんの帰宅を12時間ほど待ち続けたそうです。
当然門前払いされますが、志村さんも負けじと食い下がったため、裏方の補充メンバーとして採用されます。

その後は、今日では同じ”ドリフ”のメンバーである「加藤茶」さんの付き人になります。
一度脱走し、バーテンダーなどのアルバイトをしていた時期もありますが、その後しばらくは加藤さんの付き人をしながら加藤家に居候となっています。

高校生時代の志村さん(額縁写真)

【1972年】デビュー時代

志村さんが22歳の時に、当時付き人同士であった相方とお笑いコンビ「マックボンボン」を結成し芸能界デビューを果たしました。

お笑いコンビ「マックボンボン」

身体を張ったネタが受けて、歌謡ショーの前座として人気を獲得していきます。
すぐに冠番組『ぎんぎら!ボンボン!』ができ、華々しく芸能人としてスタートを切りましたが、実力不足やネタの少なさから人気は低迷し、番組打ち切りとなり、さらには相方が失踪してしまいます。

【1974年】ドリフ時代

お笑いコンビ「マックボンボン」が自然消滅後、志村さんは、ドリフターズの付き人に戻りました。この時に「志村けん」に改名しています。
1974年、志村さんが24歳の時に、脱退する「荒井注」さんの代わりに正式にドリフのメンバーとなりました。

ドリフ加入時代の志村さん

写真は、ドリフ加入時代の志村さんですが、かなりのイケメンです!
まだ髪もふさふさしています!

【1976年】ドリフ全盛期時代~

『8時だョ!全員集合』

東村山音頭

「東村山音頭」を歌う志村さん

ドリフの正規メンバーになって2年間ほどは、ギャグがあまりウケず、志村さんにとってはスランプの時代でした。
志村さんに転機が訪れたのは、『8時だョ!全員集合』の「少年少女合唱隊」のコーナーです。
そこで「東村山音頭」を歌ったことで、一躍人気者となりました。

「志村~!うしろ、うしろ~!」

「8時だヨ!全員集合」のコントネタで、志村けんさんが後ろにおばけなどが出てきてもいつも気づかず、観客席の子供たちが思わず
「志村~!うしろ、うしろ~!」
と叫んでしまうという現象が起きました。

ヒゲダンス

「ヒゲダンス」

1979年には、加藤茶さんとの「ヒゲダンス」が人気を博ました。

カラスの勝手でしょ〜

「少年少女合唱隊」

1980年には「♪カラスの勝手でしょ〜(童謡『七つの子』の替え唄)」が人気に。

「最初はグー!」の生みの親は、志村けん

タイミングを合わせる時に一般的に使われる「最初はグー!」の掛け声を最初に考案したのが、志村けんさんだったということが判明しました。
「じゃんけん」という文化は昔からありますが、最初にグーを出すというルールだけなら、ずっと昔から行われていたようです。

『8時だョ!全員集合』のミニコント「ジャンケン決闘」で、この掛け声を使用しています。
正式には「最初はグー!またまたグー!いかりや長介頭はパー!正義は勝つ!じゃんけんぽん!」との掛け声で勝敗を決していたそうです。

当時、平均視聴率27.3%で最高視聴率50.5%という驚異的な視聴率を誇っていた番組だったこともあって、この掛け声が急速に広まったようです。

【1986年~】バラエティーで大活躍

1985年に『8時だョ!全員集合』が終了しました。
その後の志村けんは、さらにテレビで活躍していきます。

1986年『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』
1986年『志村けんの失礼しまぁーす!』
1987年~『志村けんのだいじょうぶだぁ』
1986年~『志村けんのバカ殿様』
2004年~『天才!志村どうぶつ園』
2018年~『志村でナイト』

など、この他にもたくさんの冠番組を持ち、私たちを楽しませてくれました。
2020年現在もなお『志村けんのだいじょうぶだぁ』や『志村けんのバカ殿様』は、スペシャル番組として度々新しいものが放送されていましたし、長寿番組の『天才!志村どうぶつ園』は子どもからお年寄りまで人気のある番組として現在まで愛され続けていました。

志村けんが生んだ名キャラクター

バカ殿様

『8時だョ!全員集合』中に放送されたコントが元になったと言われています。
顔を白塗りしたお茶目な殿様で、ギャグの「アイーン」でも知られています。
殿様の日常も描かれ昔は、お色気や下ネタの多い番組で「親が子どもに見せたくない番組」の常連となっていました。
近年では、客人として数々の芸能人を迎えてのフリートークで構成されていました。

変なおじさん

『志村けんの大丈夫だぁ』に登場する有名キャラクターです。
色々な変装をしてどこにでも現れ、バレないように女性にちょっかいを出しますが、すぐにバレてしまいます。

女性「このおじさん、変なんです!」
助けを求められた男性「何だ、君は?」
変なおじさん「何だチミはってか!そうです、私が変なおじさんです」
変なおじさんダンス
変なおじさん 「だっふんだ!
で全員がズッコケるのがオチです。

いいよなおじさん

他人のものを「いいよなぁ~」と言いながら勝手につまみ食いしたり、持ち物を拝借したりするおじさんです。
若い女の子が口をつけた部分で飲み物を飲んだりする意図的な変質者行為をするため、実在すれば即逮捕されますね(笑)

ひとみばあさん

リアルなお婆さんを演じることに定評がある志村さんが、“一番のお気に入りキャラクター”だという「ひとみばあさん」。独特の息遣いが特徴です。
ズレた会話で突飛押しもない事を言い出したり、すぐに話が脱線して会話が全くかみ合わなくなります老眼で目も悪く、耳も遠いので色々と失敗することが多いです。
ひとみばあさんにはモデルがいるそうで、現在は実在していませんが、新宿のとある居酒屋のママだそうです。

1000万円詐欺事件

志村けんさんの人柄の良さを知ることができる、ある事件が起こります。

当時、全く仕事がなくてお金に困っていたある若手の後輩芸人が、志村けんさんに泣きながらお願いをしました。
「娘の手術で300万円必要なんです」と。
普通、疑って周りの人に聞いたりしそうですが、志村さんは、なんと300万円と言われたにも関わらず、
1000万円をボストンバッグに入れて、そのバッグごと後輩芸人に渡した』
そうです!
そんな大金を、いかにも嘘をついているっぽい後輩芸人に貸すなんて、それだけで凄すぎます!
後輩芸人がお礼を言うと、「出生払いでいいよ(笑)」と優しく言ったそうです。

優しすぎる!!

その話を不審に思った他の芸人さんが、そのお金を借りた芸人に問い詰めると、が発覚してしまいます(やはり・・・)

嘘だったことを、志村さんに謝罪しに行くと、
「なんだ、娘さん無事なの?良かったな。ほっとした!」
と言ったそうです。

志村さんは続けてこう言いました。
「いいよ返さなくて、お金は天下の回りものだから」

そのお金を借りた後輩芸人は泣き崩れたそうです。

この神対応っぷりは、他の人には到底真似できないことだと思います。
志村さんのこういう人柄が、幅広い年代の人に長年愛され続けることに繋がったのだと思います。

まとめ

昭和の時代から、平成、そして令和時代まで、お年寄りから大人や子供まで幅広い世代を楽しませてくれた志村けんさん。
数多くのの持ち芸やキャラクターなどを生み出し、昭和~令和まで愛され続けました。

志村けんさんは、2020年3月29日午後11時10分、新型コロナウイルスによる肺炎のため、亡くなりました。

志村けんさん、今まで本当にありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。